不思議なことや疑問に思うこと

意外と見かけないもの

子供の頃、夏休みのお昼ご飯は一週間のうち五日はソーメンだった記憶がある。安く、量もそこそこに、薬味などでアクセントをつけられるソーメンは家庭の味方だ。逆に食べ過ぎて嫌いになってしまうくらい食べさせられた。そんなソーメンだが、ソーメン専門店みたいなお店をついぞ見かけたことがない。探せばあるのだろうが少なくとも普段の活動圏内では見当たらないし、テレビで見た記憶もない。もっと言えば何かのお店で置いてあることもなかった。似たようなそばやうどんはそれこそいくらでも専門店があるというのに。そもそもソーメンにバリエーションがないのがいけないのかもしれない。
同じくミートボールも料理屋ではついぞ見かけない。お弁当の味方としてしょっちゅう子供の頃は食べていた。久しぶりにミートボールが食べたいとなったのだが、どの店を覗いても単品で置いてあるところがない。ミートボールスパゲッティみたいな商品なら見かけた記憶はあるが、それだってメジャーとまでは言わないだろう。
よく食べるわりには料理屋では見かけない食べ物とは、いったいなぜなんだろうか。
そばうどんに比べるとソーメンは家庭のお昼ご飯というイメージが強すぎる。ミートボールはお弁当に二個くらい入っている。シュウマイ弁当が許されるならミートボール弁当があっても面白そうなものなのに。
普段の食卓を注意深く観察してみればそういう『よく食べるけどお店では売らないもの』が見えてきて面白いかもしれない。
陰部黒ずみ

揚げ足取り

世の中には一々間違いを拾い上げて嬉々として叩く捻くれ者がいる。特に多いのがいい間違いや、誤読、誤用など、言葉に関することが多いと思う。役不足はよく「その役は私にはもったいない」とか「お前では私の相手はできない」みたいな力不足の意味合いで使われやすいが、実際は「私の実力からしてその役目では低すぎる」という逆の意味合い。だが誤用が広がりすぎて多くの人は前者の使い方をしても違和感がないはずだ。なにせ商用の作品、小説やゲーム、ドラマでさえもそういった誤用を平然と使う場面がある。そういう人らが平気で使えば「正しいんだ!」と思い込むのも無理はない。
辞書を引けば確かに間違っているのだろう。読み間違いにしても、思い込みで言葉が一文字逆転しても、意味の履き違えにしても、私は通じればいいじゃないか、と思ってしまう。もちろん仕事だとかちゃんとしなければいけない場面で間違えることは恥ずかしい。商用作品で誤用を当たり前に使っているのでは、がっかりしてしまうのも分かる。
しかし日常生活なら察することはできる。役不足の使い方が間違っていたとしても、言いたいことが理解できるならそれでいい。言い間違いしても「あ、あのことか」と分かる程度なら流せる。それがコミュニケーションというものではないのか。
親切心で忠告する場合もあるだろうが、たいていはまさに揚げ足取り。自分の知識をひけらかしたいだけの捻くれ者だ。誤用でも誤読でも、大勢の人がそっちを理解しているなら、それが本当の意味になったっていい。なにせ、通じるほうが大事なのだから、通じてこその言葉なのだから。
注意されるほうも勉強して間違いを正すことは大事だ。だが同じくらい注意する方も、今そこでえらそうに言うことなのかどうか、考えてほしい。